牧師の挨拶


 牧師の梶川 登と申します。家族は妻と長女。以下、少し長いですが本人が自己紹介します。
 1951年5月5日に横浜の中華街に、袋物商を営む家の長男として生まれました。やがて、ミッションスクールに入学した姉に連れられて横浜海岸教会の日曜学校に通うようになりました。もっぱら遊びに行っていたのですが、以来ずっとキリスト教会から離れずに歩んで来たことになります。信仰を持つまでには、疑問もありましたが、高校2年のクリスマス礼拝(1968年12月22日)に、二人の友人と共に渡辺連平牧師の司式で洗礼を受けました。
 横浜市立元街小学校から港中学校を経て、神奈川県立横浜緑ヶ丘高校で学びました。中高生の時にはブラスバンド部に属し、クラリネットやサキソフォーンを吹きました。
 1970年4月に明治大学法学部法律学科に入学。大学2年の時に悩み多き者が神の前に悔い改めて、クリスチャン生活を熱心に行なうようになりました。やがて、キリストを第一にして生涯を生きていこうと決意しました。
 1974年3月に同大学を卒業。4月からは宇都宮市における国際ナビゲーターの大学生伝道に加わりました。中学生のための通信教育を行なう会社で営業活動をして生計を立てました。
 1976年9月28日の朝、キリスト教伝道への献身を決意し、牧師となる道を志しました。
 1977年4月に日本基督神学校に入学。寮生活をしながら、3年間の学びをしました。1980年3月同校を卒業。卒業論文は「カルヴァンの教会訓練」(丸山忠孝師のご指導)でした。
 1980年4月、日本基督長老教会の働きとして、甲府北キリスト教会開設に派遣され、伝道活動に入りました。
 1982年5月に杉本典子と結婚。
 1983年1月には当時の東部中会において正式な牧師としての按手を受けました。
 1983年3月、千葉県市原市にある姉ヶ崎キリスト教会の牧師として開拓伝道に招かれ赴任。
 1989年3月、桜台の借地に建ったプレハブ会堂での歩みが始まり、毎週の礼拝においては旧新約聖書の講解説教を継続。宣教活動においては様々な出会いや出来事がありました。この間、10年間は新聞配達をし、13年間は第二姉ヶ崎幼稚園の牧師として週1~2回働きました。礼拝担当ばかりでなく、子供達には“じゃがいも先生”と呼ばれて遊びました。幼稚園の関係で教会に加わった方々もいます。
 2007年7月に新会堂に移ってからは、聖書入門講座や信徒の学びに力を入れ、教会の確立を願いつつ働きを行なっています。今後も、聖書の学び(問答形式を用いて分かち合う)を続けていくことを、牧会伝道の中心に据えて進んでいきたいと考えています。
 日本長老教会に連なる者としては、大会において1985年以降、ずっと海外宣教委員会に関わり委員長を歴任、現在も委員です。中会においては、2004年度に中会議長、2009~10年には書記を務めました。また、静思堂委員会の委員長として10年間納骨堂建設に関わり、2012年にシオンチャペルが誉田の地に完成しました。また教育委員会の委員も務めています。
 外部奉仕としては約20年にわたってhi-b.a.(高校生伝道協会)の支援会理事。
 小さい頃から音楽が好きだったことで、今でも姉ヶ崎キリスト教会の祈祷会などにおいては、ギター伴奏をします。また、妻のピアノに合わせてリコーダ演奏をすることもあります。それが趣味ともいえましょうか。青年の頃よく、横浜の山下公園から海をながめながら外国を夢見ていました。でも、後で考えるとその見ている方向は、東京湾を隔てた対岸の現在住んでいる所あたりでした。主なる神は私をこの地に導いてくださり、働かせられたのだなとしみじみと思っています。
 2012年夏に大腸ガンの手術を受けました。比較的早期でしたので抗癌剤治療もなく、現在は元気に歩ませられています。「自分の日を正しく数えることを教えてください」(詩篇90:12)をいつも覚えて祈っています。